プリンプリンのババロア

怠け男日記 改め プリンプリンのババロア です。よろしくお願いします。

BUMPの『話がしたいよ』の歌詞を頑張って読解したらもっと好きになった

はじめに

BUMP OF CHICKENは中学生の頃に『天体観測』のヒットで知ってからずっと追いかけてきました。僕がBUMPに惹かれた理由の中で最も大きい要因は藤原さんの書く「歌詞」に感動したことです。

ずっと良い歌詞だなあと思っていたのですが、先日、「話がしたいよ」を聴いていて、「この曲の歌詞をしっかりと読解したい」という気持ちが高まったので、その解釈をこちらに書きたいと思います。

なおBUMPの皆さんは「曲の解釈はリスナーに委ねる」「解釈は人それぞれで良い」というスタンスだったと思いますので、こちらの記事の解釈も僕の個人的な解釈と考えて頂ければと思います。

www.youtube.com

f:id:cookie_531:20190716233453p:plain
話がしたいよ 歌詞

緑字は国語的なつながり、その他の色分けは僕の解釈です。 画像を別タブで横に並べて読んでもらえるとわかりやすいかもしれません。

1番

持て余した手を 自分ごとポケットに隠した
バスが来るまでの間の おまけみたいな時間

街が立てる生活の音に 一人にされた
ガムと二人になろう 君の苦手だった味

だめだよ、と いいよ、とを 往復する信号機
止まったり動いたり 同じようにしていても他人同士
元気でいるかな

1段落目、主人公はバスを待っている間、手持ち無沙汰にしています。 また、冒頭の「自分ごと隠す」という表現で、主人公が自分の気持ちを出さずに隠してしまったことがわかります。この隠してしまった気持ち、というのが一体何なのかはあとで分かることになります。

次の段落では、主人公は街の音を聞いて、ガムを噛みながら「」のことを考え始めます。ここでは、街の生活音との対比で、主人公が「一人で」「孤独を感じている」ことがわかります。

また、ガムを噛むことで、一人でいることを強調しつつ、「君」を思い出すきっかけを作っています。非常に上手い表現です。「君」というのが誰であるかの答えはまだわかりませんが、苦手だった味を知っていることから、過去に主人公と近かった人物であることが読み取れます。

3段落目では、横断歩道を渡る人々が他人であることを意識して、さらに孤独を感じてしまう主人公が描写されています。

この瞬間にどんな顔をしていただろう
一体どんな言葉をいくつ見つけただろう
ああ 君がここにいたら 君がここにいたら
話がしたいよ

サビはそのままです。主人公はバスの待ち時間にふと寂しさを感じてしまったため、今この瞬間に君がいたら色々な話ができただろうと想像します。タイトルにもある「話がしたいよ」という気持ちに至るわけです。

2番

ボイジャーは太陽系外に飛び出した今も
秒速10何キロだっけ ずっと旅を続けている

それの何がどうだというのか わからないけど急に
自分の呼吸の音に 耳澄まして確かめた

1段落目、唐突にボイジャーが出てきます。なんの意味もなくボイジャーを出すわけはないので、自分とボイジャーには何らかの関係がありますが、今の段階ではよくわからないので2段落目に進みます。

2段落目では、ボイジャーのことを考えたあとに「自分の呼吸の音に 耳澄まして確かめた」とあります。 呼吸をしている => 生きている ということなので、自分が生きていることを確かめたのだと思います。

ここで1段落目に戻ります。主人公はバスを待ち、「君」のことを考えて立ち止まっている状態です。そんな自分と旅をずっと続けているボイジャーとを比較したのではないでしょうか。

つまり1,2段落では、立ち止まっている自分がまるで死んでいるかのように思えてしまったため、「自分が生きていること」=「自分がこれまで旅を続けてきたこと」を再確認したというわけです。

(別の曲になりますが、『銀河鉄道』ではこの部分のテーマについて深掘りして歌っています。まだ聴いていない人はぜひ聴いてみてください。『話がしたいよ』をより深く解釈できるかもしれません)

体と心のどっちに ここまで連れて来られたんだろう
どっちもくたびれているけど
平気さ お薬貰ったし
飲まないし

1行目で、前段で書いた「自分がこれまで旅を続けてきた」ということが裏付けられています。

2行目以降、疑問点が2つあります。「なぜお薬をもらったのに飲まないのか」「なぜお薬を飲まないのに平気なのか」ということです。

これは逆説的に考えれば、お薬を飲んだとしても効かないことがわかっているし、放っておいて問題ないとわかっているということです。つまり原因は、「君」と話したいのに話せないこと、であると推測できます。

どうやったって戻れないのは一緒だよ
じゃあこういう事を思っているのも一緒がいい
肌を撫でた今の風が 底の抜けた空が
あの日と似ているのに

1行目で主人公は、戻れないのは「君」も自分も一緒だと言っています。どこに戻れないのかは、このあとの3,4行目ではっきりします。

2行目のこういう事が何であるかはまだわかりませんが、「君」も自分と同じ気持ちでいてほしいと考えているようです。

そして3,4行目では、現在の風や空が「君」と過ごした日(過去)と似ている(けれど、全然違っている)ということを表しています。1行目で歌っていたのは、「過去に戻れない」という意味であったことがわかります。

抗いようもなく忘れながら生きているよ
ねぇ一体どんな言葉に僕ら出会っていたんだろう
鼻で愛想笑い 綺麗事 夏の終わる匂い
まだ覚えているよ
話がしたいよ

1,2行目では、主人公は「君」と過ごした過去のことを思い返していますが、どんな話をしていたのかは忘れてしまっていて思い出せなくなっています。

3行目、「鼻で愛想笑い 綺麗事」とあります。この綺麗事は、手前からの流れから読み取ることができます。

過去に「君」と話したことを思い出せなくなった =>ずっと過去の記憶を覚えていることなどできない =>永遠なんてない

つまり、「綺麗事」とは「永遠」の事を指し、色々忘れてしまったことからそんなものはないと愛想笑いしたのだと思います。

続いて、「夏の終わる匂い まだ覚えているよ」と続きます。これは、何もかも忘れてしまったわけではないというそのままの意味だと思います。

そして、一番最後に「話がしたいよ」というフレーズが来ます。これはこの時の主人公の気持ちであるため、前段の2行目で歌っていたこういう事に対応する部分はこの気持ちだと考えられます。

間奏〜ラスサビ

今までのなんだかんだとか これからがどうとか
心からどうでもいいんだ そんな事は

いや どうでもってそりゃ言い過ぎかも いや 言い過ぎだけど
そう言ってやりたいんだ 大丈夫 分かっている

1,2行目、「今までのなんだかんだ」とか「これから」はどうでもいいと主人公は結論づけています。

「今までのなんだかんだ」は過去のこと、「これから」は未来のことです。つまり、過去も未来も主人公にとってはそこまで重要なことではないと言いたいのだと思います。あるいは、「今」が最も重要だということかもしれません。

ここで少し振り返ってみると、1番、2番のサビでそれぞれ下記のように歌っています。

1番) 一体どんな言葉をいくつ見つけただろう
2番) 一体どんな言葉に僕ら出会っていたんだろう

よく似たフレーズですが、1番はこれから起こる「未来」のこと、2番は「過去」に君と話したことを歌っていることが読み取れると思います。

これに気づいたとき、なんて美しい対比構造なんだろうと感動しました。

4行目、「言い過ぎかも いや 言い過ぎだけど」とあるように、主人公は過去や未来の事をどうでもいいと思っているわけではありません。どちらも大事だけど、それよりも「今」が大事だという気持ちなのでしょう。

5行目、「そう言ってやりたいんだ」については、登場人物が「君」しかいないため、対象は「君」で間違いないと思います。そして、何を言うかというと、「過去・未来どちらも大事だけど、今が一番大事」だということ。

1番の冒頭で「自分ごとポケットに隠した」という表現がありましたが、そこで隠した気持ちとはこのことだったんですね。

5行目後半、「大丈夫 分かっている」は、「誰が」「何を」というのが色々な風に解釈できるようになっているのすが、個人的には、「主人公がこれから何をすべきか分かっている」ということだと考えています。ここの解釈は人それぞれだと思います。

そして、最後の行に続きます。

ガムを紙にぺってして バスが止まりドアが開く

ここまでガムは「君」への気持ちへの象徴でした。主人公は「君」の事を思いながらバスを待ち、「立ち止まっている」状態でした。

ガムを吐き出してバスに乗り込むというのは、「君」への気持ちに整理をつけ、次へと一歩踏み出すことの比喩なのだと思います。

「君」とは誰なのか

ここまでの流れをざっくりまとめると、下のようになります。

何らかの気持ちを抱えた主人公はバスを待ちながら「君」のことを考えていた
↓
「君」との過去とこれからのことを考えて、「君」と話がしたいと思った
↓
極端に言えば、過去やこれからのことはどうでもよいと「君」に伝えたい
↓
「君」への気持ちに整理をつけて、出発をする

ここで、「君」とは一体だれなのか、という疑問があります。

BUMP OF CHICKENの曲のほとんどに共通して言えることですが、「君」の解釈は色々な意味に取れるようにできています。

「恋人」だったり「友達」だったり、「過去の自分自身」だったり、時には「夢」のような概念だったりします。

前述しましたが、BUMPの皆さんは曲の解釈を聞き手に委ねているので、「君」が一体何であるかは好きなように捉えてもらえれば良いと思います。

面白いことに、いま自分なりの解釈をしたとしても、数年後に改めて聴いた時期やタイミングで解釈が変わることもあります。

そういう風に色々な解釈ができるように作られているから、BUMPの楽曲は広く多くの人に受け入れられ、長く愛され続けるのかもしれません。


今回、この曲の読解をしてみて完成度に驚き、この曲をより好きになることができました。

この記事が誰かの解釈の手助けになり、BUMPの曲をより好きになるきっかけになれば嬉しいです。

また気が向けば他の曲の読解をしたいと思います。それでは、またいつか。